シンガポール来てから44日目 日本に帰りたい
こんにちはあるいはこんばんは。
あれは大学四年生の頃。ひょんなことからインターン先のサポートで、アメリカテキサスに一週間滞在してカンファレンスに参加できることになった。カンファレンス自体はつまらなくて抜け出してぶらぶらしたり、当時お金もなかったので徒歩25分のバーガー屋さんまでスーツケース引きずりながら歩いて行って、出てきたバーガーがやはりアメリカンサイズでこりゃアメリカで生きていくのは厳しいわななんて思ったり。
【懐かしのテキサスバーガー。味はピカイチ!】
人生の転機はそんなテキサスではなく、transit地点のLAで起きた。overnightだったので空港に近めのホテルを予約していたが、空港着いたら電話してね迎えに行くから〜とのこと。当時の私は無知なので海外で電話なんかしたら超高額請求が来ると信じて使うという発想がなく、、仕方なく空港の電話を使おうとしたら現金が必要だがそんなものはなく。そこらにいた韓国人に携帯貸してと頼んだ。今考えると、、、勇気あるなぁと思うけど、自分のケチさに笑う。そんなこんなで日本人周りにいなくて心も体もヘトヘトで眠りにつき朝空港に向かったときである。
キラキラキラ....
大量の白人キャビンアテンダントたちの中に一人間違いなく日本人のキャビンアテンダントがいて、堂々と生き生きと英語で同僚たちと話していたのである。
...それだけかい!とツッコまれるかもしれないが、私にとってはそれが今でも脳裏に焼き付いていて、あんな風に英語を使って、異国の地で活躍したいという夢ができた。憧れの存在になった。
それから早4年。昇進が決まったタイミングで会社内でチーム異動&シンガポールへ転勤した。外資系企業内異動ゆえ、駐在ではなく転勤という言葉が正しい。シンガポール支社に雇用され、給料もSGD(シンガポールドル)で支払われている。わーい憧れの海外勤務〜!!!
ともいかず、毎日帰りたいとボロボロ涙を流しながら生きています。
【最後はChangi airportのjewel付近にいたパンダくんで心を癒やしておくパンダ。】